「コイノニア」 No.72 

岡崎茨坪伝道所開設20周年記念特集

2001年9月29日(土)と30日(日)には、伝道所開設20周年記念の集会を行いました。講演者は、岡崎教会の元牧師で、現在日本キリスト教団代々木上原教会牧師の村上 伸(ひろし)牧師をおお迎えしました。長いですが、この特集のページにその全記録を載せました。
村上 伸牧師 講演 「真の和解のために」(9月29日午後)
礼拝説教 「和解のための先手」(9月30日午前中)

《 記念講演 》 (2001.9.29)
真の和解のために

村上 伸 牧師

私が岡崎教会を去って、もう27年になります。その間何度か岡崎を訪れる機会があったのですが、こんなにたくさんの懐かしい方々とお目にかかるのは初めてで、今日は本当にうれしく思っております。また、この会のために初めておいでになった方々にも、心からごあいさつを申し上げたいと思います。

茨坪伝道所の開設20周年ということですが、本当に感謝すべきことです。正直言いますと、始まったときに「さあ、どのぐらい続くのかなあ」という気持ちがないわけではありませんでした。しかし、神様が必要とされる仕事は必ず続きます。今後もよい伝道と宣教の業を続けられるように心から祈っています。

私は今日の話に「真の和解のために」という題をつけました。本題に入る前に、まず私が本当に信じていることを申し上げたい。それはこういうことであります。

私たちのこの世界は神様がお造りになった。はじめは本当に善く、美しくお造りになったということです。そのことが第一番目です。「創世記」の1章の31節に、「神はお造りになった全てのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり朝があった。第六の日である。」と書いてあります。美しい言葉です。私たちの世界はそこから始まったのだということです。これが私の信仰の第一のポイントです。

しかし、二番目に大変残念なことを申し上げなければなりません。神様が美しく善くお造りになった世界を、人間の罪が汚し、そして破壊しているということです。互いに愛し合って一緒に生きて行くように造られたはずの人間が、互いに憎み合って、際限のない争いを繰り返している。アメリカで起こった「同時多発テロ事件」などはその典型です。戦争もあるし、環境破壊の問題も大変深刻です。私たち人間の罪です。これが二番目の点です。

第三番目に私が信じていることがあります。それは、いつか必ず神の真実の支配がこの地上に打ち立てられるということです。人と人とが和解する。人と自然とが和解する。そういう日が必ず来る。イエス・キリストという方を見れば、それが神様の意志であり、約束であるということが分かる。だから、今はこの世界がどんなに暗くても、やがてその日が来る。私は心からこのことを信じて生きています。

以上が、私の信仰です。

二番目に申し上げたこと、つまり、神様がはじめは善く美しくお造りくださったその世界を人間の罪が汚し、破壊しつつあるということですが、この一つの具体的な現れが、先日のアメリカで起こった「同時多発テロ事件」だと思います。それが非常にショッキングな映像で、全世界に同時的に中継されたということもありまして、私たちを震撼させました。このことに触れずに今日の話をするわけにはいきません。

キリスト教信仰は、この世界の問題を本当に真剣に考えます。「この世界は仮のもので、私たちは永遠の世界のことだけを考えていればそれでいいのだ」という考えは聖書の信仰ではない。「神はその独り子をお与えになったほどにこの世を愛された」(ヨハネ福音書3章16節)。そうである以上、私たちはこの世界の問題を本当に真剣に考えなければなりません。そして、そのイエス・キリストを見上げるがゆえに、世の問題について発言しなければいけないと思います。

今度のテロ事件で、日本人も含めて何千人という人たちが犠牲になったわけですが、その方たちを心から哀悼し、その御家族のために神様の憐れみを祈るのは当然としても、それ以上に私たちは信仰の立場から深く考え、祈り、解決の方向を目指して努力すべきでしょう。そのためには、こういうテロが繰り返されるような現状は必ず終わる、それが根絶される日が必ずくる、ということを信じるところから始めなければなりません。これは人間の努力にもよるわけですけれども、根本的に神様の意志です。

「テロ事件」についてもう一言申し上げたい。問題はどうすれば本当にテロを「根絶」することができるか、ということでしょう。今アメリカはじめ、イギリスも、我が国の小泉首相もその一人ですけれども、諸国の指導者たちが、軍事行動によって、あのオサマ・ビンラディンという人物を捕らえ、タリバンを徹底的にたたけば、テロを根絶できるかのような言い方をしていますが、私はそうは思いません。そういうことによって、テロは根絶できない。

今度の軍事報復の相手は、国家ではありません。信念を持って、あちこちで活動しているグループです。従来の戦争の概念は当てはまらない。攻めるといっても、彼らを打ちのめすことは簡単にはできないでしょう。ことにアフガニスタンは、旧ソ連が侵攻して、様々な近代的な武器を使って十年ぐらい攻めたけれども、最後には負けて、武器を置いて退却せざるを得なかった所です。そこでは信念に凝り固まった人々が、岩穴に隠れたりしながら、ゲリラ戦を展開する。とても勝てる相手ではありません。むしろ、攻撃をすることによって、かえって報復の意志を固める。そして、悪循環はいよいよ際限もなく繰り返されることになる。これが専門的な見識を持っておられる方々の大体の見通しのようです。私もそう思います。

ですから、これからの報復作戦に、第二次世界大戦のときと同じような意味付けをすることには、無理があります。第二次世界大戦というのは、あの「ナチスドイツ」と「軍国主義の日本」という、二つのファシズム国家を屈服させるために自由主義陣営が総力を挙げて戦った戦いでした。その意味では、あの戦争には大義名分があったかもしれません。

しかし、今度の軍事報復については、その大義名分を振りかざすことは、ほとんど不可能です。その陰には「パレスチナ問題」があるからです。イスラエルがパレスチナでやってることは、多くのパレスチナ人にとっては「テロ」にほかなりません。アメリカは確かに、何度か和平のために橋渡しを試みましたが、基本的にはイスラエル寄りですから、この調停は決して成功しませんでした。そして、なんら解決をみないまま、あそこでは憎しみと報復の悪循環が泥沼化しています。そこへブッシュ大統領になってからの強硬姿勢です。これがあの悪循環に拍車をかけています。

この文脈の中で、地上の世界での解決に、絶望してしまった過激派の若い人たちが、自爆テロというのを頻繁にやりだした。最近、日本の新聞には、その自爆テロをやった人たちが遺した遺書が紹介されました。「この世にはなんら希望を見いだせない。先に逝ってしまうのは申し訳ないと思うけれども」と言って、お父さんやお母さんに、「天国には幸せが待っているんだから、そして神様のためにこういうことをやるんだから許して欲しい」という内容です。深い絶望感が彼らを動かしている。それがとうとうあの大掛かりな前例のない攻撃となって現れた。アメリカの政治・経済・軍事の中枢に、四機の旅客機、それも一般市民を巻き添えにする形で突っ込んだというのがあのテロ事件であります。

こういう前後関係を考えますと、一方的にあのテロリストたちが悪くてアメリカは正しいと言うことは無理のように思います。そういう関連の中で、報復には報復をというやり方をしていたのでは、とうていテロは根絶できません。

「それじゃどうするか」と聞かれると私も困ります。しかし、少なくとも、もう少し忍耐力を持つということが大切でしょう。そして、これまで自分たちの行動や態度がどれだけ相手を傷つけていたかという事実の認識と、それに基づいた反省から始めなければならない。

私はこの講演の最初で、神様は私たちの世界を善く美しくお造りになったのに、それを人間の罪が汚し、破壊しているということを申しました。しかし、最後には必ず神の国が来る、と。イエスは、「時は満ち、神の国は近づいた」(マルコ1:15)と言われました。「神の国が来る。真実の支配がこの地上に打ち建てられる。それこそが神の意志である」というのです。そして、神の支配というのは、具体的に言えば「和解」だと思います。争い合っていた者が互いに和解する。それが、この歴史にかかわる神の意志である。私はこう信じます。

世界が根本的には神の意志によって、やがて来るべき和解を目指してこれからも進んで行くんだということを信じたい。聖書は、たくさんの悲しむべき事件を縫いながら、私たちにそのことを語りかけています。世界の歴史は対立を乗り越え和解へ向かう。そのことを神様は望んでいらっしゃるし、そこへ向かって私たちの歴史を導いてくださる。これがイエス・キリストという人物に現れた出来事の意味です。

少し具体的な話をしたいと思います。私は「ベルリンの壁」が事実上崩壊した1989年に東ドイツに滞在していました。ある牧師の家庭に泊まり込んで、その事態の推移を見守っていたのです。ちょうど9月の末から10月にかけてですが、毎日のように新しいニュースが飛び込んで来ました。テテロウという小さな町でしたが、「今日はあの人がいなくなった」とか「今日はあの家族が逃げた」とか、そういう話が頻繁に聞こえて来ました。東ドイツという社会に絶望した人々が、なんらかの仕方で国外に脱出する。つまり東ドイツという国家は、事実上内部崩壊を起こしていたのです。ある歴史家は、国民が逃げ出すという事態を、「大出血」と言いました。国民が愛想をつかして逃げ出すような国は、血がどんどん流れているような状態なのだというわけです。

東ドイツは、当時、同じ民族なのに西ドイツに対して、強い敵意を持っておりましたて、その敵意の上に立っていろんな政策を実行していましたが、その構造が足元から崩れはじめていた。対立という行き方では、これからやっていけないのだということに人々がだんだん気が付きはじめたのです。

日本に帰って来たのが10月の9日です。それから、ドイツの事態は急速に動き始めた。私はそのころテレビの前に釘付けになって、毎日ドイツから伝えられるニュースを見ていました。私は居ても立ってもいられなかった。そしたら、そばで私のことを見ておりました妻が「あなた、もう一度行きたいんでしょう」と言いました。図星でした。もう一度行きたいと思っていましたけれども、短い間を置いて、外国へ行くなどということはちょっと申し訳ないという気持ちもありまして、言い出しかねていたのです。賢明なる妻はそのことを見抜いてくれまして「行ってもいいわよ」と言ってくれました。「じゃあ、言って来る」といって出掛けたんです。

それは壁が落ちた後でしたが、私は精力的にいろんな人と会いました。ことに東ベルリンに入って、物事をよく考えて、事態の推移を最も客観的に冷静に見守っていたであろうと思われる人々を訪ねて、話を聞きました。そこで私が確信したことは、世界が変わったということです。今までは対立というパターンで物事を考えて来たけれども、それでは今後の世界はやっていけない。ヨーロッパの人は和解の道を選び取ったのだ。これは、ポーランドもハンガリーでもチェコスロバキアでも同じことです。そして、最後には冷たい戦争の一方の大立者であったソ連が崩壊しました。私は、百年に一度あるかないかという世界史の転換の現場に立っていたわけです。

その後の十年間で、「対立ではなく和解を」という、新しい枠組みは、いくつかの重要な成果を生み出しています。これが世界の歴史の基本的な方向であることは疑いを入れません。今回のテロ事件によっても、それはいささかも揺らぐことはない。一時は苦しい時期があるかもしれませんが、世界の歴史は根本的に「対立から和解へ」向かっているのです。変革は決して偶発的な出来事ではなかった。その前から長い時間をかけて、人々の叡知を集めて、努力し準備された歴史の必然的なプロセスでありました。それがまた神の意志でもあったということを、私は信じています。

例えば、対立を克服するための努力がそのかなり前から、東西双方で始まっています。西ドイツとポーランドとの間に「国交正常化交渉」が始まったのもその一つです。1970年に合意をみて、「国交正常化条約」が結ばれます。その時の西ドイツの首相は社民党の党首ウィリー・ブラントという人でした。元ベルリンの市長で、東西対立の厳しさを身をもって体験した人です。この人が、オーデル川・ナイセ川を、両国の間の国境とするという方針を打ち出したのです。

これは従来ドイツ人がほとんど認めなかった考えです。国境はオーデル・ナイセよりも遥かに東にある、というのがドイツ人の立場でした。ところがブラントは、譲歩したのです。戦争中ナチスがポーランドの人たちに対してどれだけ多くの苦しみを与えたかということを考えると、このぐらいの譲歩はしなければいけない。こうして、オーデル・ナイセ線が国境線として確定したのです。

その記念式典がワルシャワで行われたとき、ブラントは先ずワルシャワ・ゲットーを訪れたのです。「ゲットー」というのは、ナチスがユダヤ人を大勢詰め込んで、劣悪な環境の中でたくさんの人を殺した所で、記念碑が建っています。そこで一緒について行ったドイツ人もポーランドの人も予想もしなかったことが起こりました。雨が降っている中で、ブラントはいきなりその前にひざまずいたのです。深々と頭を垂れて何事かを祈っていた。後で紹介された裏話によりますと、ブラント自身そういうことをするつもりはなかったそうですけれども、あのゲットーの現場に行って、自分たちが与えた苦しみのことを思うと、やっぱり立ってはいられなかった。ひざまずいて、頭を垂れて、祈らずにはいれなかった。それを見て、ポーランドの人たちは、「ああ、このブラントという人は本気で、我々との和解を求めているんだな」と、信じるようになったというのです。

そのころから、東西双方で、対立は無益なことだ、これからは和解して一緒に生きていかなければいけないという気運が強くなったのです。

その意志が非常にはっきりした形を取ったのが1975年の「全欧安保協力会議」です。英語でConference on Security and Cooperation in Europe 頭文字をとってCSCEと言います。今は「会議」ではなくて、常設の「組織」にしようというので、Organization 、OSCEという名前に変わりました。この「全欧安保協力会議」というのは、ヨーロッパにある東西両陣営の33か国にアメリカとカナダが加わって、平和への意志を確認したものです。お互いに核兵器を、相手に標準を合わせて配備するというようなことをやっていたのでは、人々の生活がおびやかされるし、経済的にも重荷だ、ということです。そして、最終文書が出されました。ヘルシンキで会議が行われたものですから、「ヘルシンキ宣言」と呼ばれます。この中で、これらの国々が思想の自由、良心の自由、信教の自由などの人間に基本的に備わっているはずの自由、人権というものを本当に大切にして行かなければいけないということを高らかにうたい上げたのです。これが今日のヨーロッパ連合の誕生に決定的な影響を与えたと言われています。世界は対立から和解へという方向に向かって動き出した、その具体的で強力な現れがこのCSCEでした。

それから15年ぐらい経った、1990年には、ついに東西両ドイツの統一が完成しました。もちろん問題はたくさん残っていますし、越えなければいけないハードルはまだまだたくさんあります。経済的な格差もあるし、心理的な問題もある。そう簡単ではない。しかし、とにかく、一緒に生きるということが始まったのです。これは大きなことではないでしょうか。

「ヨーロッパ連合」は現実のものになりました。ヨーロッパ経済共同体と言っていたころの努力が実を結びました。来年の1月1日から共通通貨「ユーロ」が流通するようになります。国境での検問は既に廃止されました。ドイツとフランスの間では、共同の軍隊を創設しようという話題さえ起こっています。かっての宿敵同士が共同の軍隊を持とうという話です。

対立から和解へというその歴史の大きな流れは、もう後戻りすることはないでしょう。今後少なくともEUの枠内では戦争は起こらないでしょう。これこそが世界史の基本的な方向です。そして、それを実現していくのが、21世紀における我々の使命だと思います。

この考えはまず、ヨーロッパで具体的な形を取りましたが、その後少し遅れて、アジアにも波及して来ました。韓国の金大中大統領が昨年、6月に南北首脳会談を実現させました。私は今年の6月に教会の青年たちと一緒に韓国を訪問したのですが、北朝鮮が川の向こうに見えるという国境近く、「統一展望台」という所でいろいろと展示物を見て、学ぶことが多くありました。そこには、金大中さんと金正日さんとが、一緒に並んで写ってる写真が大きく飾られてありました。双方がなるたけ相手を敵視するような言葉づかいはやめようと努力しています。私は大変残念なことにハングルが読めないので、詳しいところまでは分かりませんけれども、韓国人の友人の説明を聞きながら、「対立から和解へ」という歴史の基本的な方向に沿った動きが、アジアでも既に始まっていることを実感しました。

残念ながら、遅れているのが日本です。日本はあれだけの戦争や、植民地支配を行ったという過去の問題を抱えていながら、それを本当に克服して、新しい時代を築いて行く努力をしていない、と私は思います。「歴史教科書」の問題などは、その一つの典型的な現れでしょう。

私はこの世界史の目指す方向は、「実にキリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において、敵意という隔ての壁を取り壊し」(エフェソ2:14)という聖句に現れていると思います。対立から、あるいは敵意から和解へという、人間の本来の関係、人が人として信じ合うことができる、人が人として愛し合うことができる関係は、キリストにおいて実現しています。それが基本的な方向なのです。「敵意という隔ての壁を取り壊した」という言葉は、先ほど申しましたベルリンの壁の崩壊ということとぴったりと一致するイメージです。象徴的だと思います。

そろそろ私の話は結論の部分に入って行かなければなりません。「和解」を実現するためには、自らの罪責を認識し、それを告白するということが不可欠です。そのことを抜きにして和解することはできません。私たちのつまらない夫婦ゲンカでも、仲直りするときは先ずどっちかが「ごめんね」と言います。仲直りは、先ず自分の間違いを認めることからはじまるのです。自分の正義を頑固に主張している間は、決して和解はできません。私はこれは人類の最も深い経験の一つだと思います。

高橋哲哉氏の『歴史修正主義』という本を最近読んで、私は深く教えられました。「アウシュビッツは嘘である」という主張がある。ホロコースト(ユダヤ人虐殺)は全部作り話にすぎないと言って、歴史を作り変えていく考え方を「歴史修正主義」と言うのです。日本ですと、「南京大虐殺など無かった」と日本の罪責を否定する考えです。この高橋さんがフランスのデュヴェルジェという政治学者の見方を紹介しています。それによると1990年ごろからこの20世紀に行われた政治的な暴力の加害者側、ヨーロッパですとドイツ人ですが、彼らが悔い改めて被害者側と和解しようという動きが全世界に広がりつつある、加害者側が自分の過ちを認め、悔い改めて被害者側と和解しようとして努力を始める、そういう動きが全世界的なものになった、というのです。

彼の論説を一部読んでみますと、 「いろいろの批判は有り得るにせよ、ドイツはホロコーストをはじめとする、ナチス時代の過ちを明確に認め、責任者の訴追と被害者への補償を今日まで続けてきたことは、近代史上他に例を見ないことである。90年代以後、このドイツモデルのヨーロッパス・タンダード化が現れた」。このドイツの人たちがやったように、「俺たちは間違っていた。ああいうひどいことをした。どうか許して欲しい」と言って補償もする。そのドイツのやり方が、ヨーロッパの各国に波及しました。従来は、「俺たちは何も悪いことをやってない、ドイツ人がひどいことをしたのだ」と言ってドイツを攻撃するばかりだったフランスでもそうです。1995年に、シラク大統領が、あの戦争中にビシー政権の人たちが、ナチスに協力した国家責任を認めて、責任者の裁判も行われたというのです。

ヨーロッパ各国にそういうふうに加害者が自らの罪責を認めて、被害者と和解するという動きが始まっている。二つ例外があると、高橋さんは言います。一つは、20世紀の初めごろにアルメニア人を大量に虐殺したその事実を決して認めようとしないトルコ、もう一つは、旧日本軍の戦争犯罪に対してあいまいな態度を取り続けている日本である。日本は過去の克服をしようとしないし、それができない国であると、いう評価が全世界中に今広まっている。さきごろ話題になった、「新しい歴史教科書をつくる会」の人たちが作った教科書というのは、それを全部無視して、日本がいかに優れたよい国であるかということを自画自賛する教科書になっていますが、これは歴史に逆行するものです。

私はこの「対立から和解へ」ということを目指すためには、どうしても自らのこの過ちは認めて、率直にお詫びしないといけないと思います。

こういった状況の中で、日本の教会ができる貢献があると思います。教会は他の団体に先んじて、自分たちが戦争中に犯した過ちを明確に認めました。ドイツの教会は1945年の段階ですぐそういう「罪責告白」を発表しました。日本の場合は20年かかって1967年です。当時の日本キリスト教団総会議長であった鈴木正久という人の名前で出されたのが、「第二次大戦下における日本キリスト教団の責任に関する告白」、略して、「戦争責任告白」というものです。これがアジアの諸国、諸教会の中で和解へ向かって歩み始めるきっかけになったことは、みなが認めています。韓国の教会はこの告白を見て、「ああ、こういう教会とならば、これから一緒にやっていける」と考えたといいます。このように自らの責任を認めて、告白して赦しを求めるということがないと、和解ということは実現できません。その意味で、日本の教会ができる貢献というのはあると思います。

この茨坪伝道所に集っておられる方々の大部分は、かつて岡崎教会に所属しておられて、まだ若かった。私もまだ若かった。今からもう、30年も前の話です。そのときにその青年たちが真剣になって語り合いました。「あの戦争責任告白というものを、とにかく一度みんなで勉強しよう」。勉強する中で、その中にはいくつか問題があるということも分かってきた。日本の歴史を、明治以来の日本の歴史をみんなで勉強しました。あるいはそこからさらに溯っても勉強しました。あるときにはドイツから来たお客さんを呼んで来て、ドイツの教会が出した罪責告白について話を聴くという勉強もしました。いろんな勉強を重ねて、その後で、とても苦労したと思いますけれども、「わたしたちの告白」ができたのです。

こういう努力をやってる教会は他にもあります。そして、こういうふうに自らの過去を真剣に受け止めて、それを克服していく努力をするという、それは21世紀に向かう私たちの崇高な使命だと思います。そのことによって自分の尊厳が傷つけられるということは全くない。私はこの罪責告白を本当に真剣に考えることによって、日本の教会はあの歴史の大きな方向、「対立から和解へ」と、そのことに寄与することができるし、ことにアジアでそれに寄与することができると信じています。

最後に一言だけ申し上げますが、和解という目標を達するためには、暴力をやめなければなりません。私は暴力にうったえて物事が解決したためしはないと思っています。暴力はやめなければ和解へと向かうことはできません。暴力というものは、さらなる暴力を生み出すだけです。人間のこれまでの歴史は、「武器がないと平和は守れない」というところから出発して、武器をさんざん作って来ました。しかし、それで平和は守れましたか。それで悲劇を防ぐことができましたか。

この点で、大変興味あるのは中米のコスタリカという国です。今から50年前に軍備を全廃しました。この国は、南にパナマを控え、北にニカラグアという国を控えた、紛争多発地帯です。その真っ只中にある小さな国が、軍備を持たないという決定をした。それから50年間、周りの国々から尊敬されて、だれもこのコスタリカを侵略しようなどとはしなかった。その記事が新聞に出ておりまして、大変私は胸を打たれました。元大統領のモンヘルという人が記者に対して答えてるんですけれども「問題はなかった」と言っています。

そういう道をかつて日本は一度選んだはずなのです、平和憲法作ったときに。それを今私たちは本当に必要としています。暴力はさらなる暴力を生むだけです。「世界教会協議会」(WCC)というプロテスタントの教会を主にした世界的な組織が、2000年から始まる10年間を、家庭内暴力から国際間の暴力に至る、あらゆる「暴力を廃絶するために努力をするための10年」と決めました。私たちも、暴力を廃絶するためにできることを何でもしていく。そして、「対立から和解へ」という、歴史の大きな目標に向かって、一緒に進んで行きたいものだと心から願います。

 私の話はこれで終わります。どうもありがとうございました。 (拍手)

《 説 教 》 9月30日

真の和解のために

村上 伸 牧師


「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺すものは裁きを受ける』と命じられている。しかし、私は言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置いておき、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰ってきて供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で和解をしなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。はっきり言っておく。最後の一クァドランスをかえすまで、決してそこから出ることはできない。」
マタイによる福音書5:21~26

この茨坪伝道所が設立されましてから、もう20年経つということを聞きましたときに、もうそんなに経つかと思ってびっくりしました。こういう大切なおりに、お招きいただきまして、大変幸せに思っています。しばらくのときを御一緒に聖書を読みながら考えたいと思います。

今日の話の題は「和解のための先手」といたしました。その題を決めたとき、聖書を『マタイによる福音書』の5章の21節以下に決めたのですが、そのときはまだアメリカのあの恐ろしいテロ事件は起こっておりませんでした。あの事件の後で改めてこの聖書の箇所を読んでみますと、ここに書いてあることは大変に今日的な意味を持っていると思いました。

最初の21節に「あなたがたの聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている」と書いてあります。この「殺すな」というのは、『出エジプト記』20章の十戒の中にある言葉ですね。「殺すなかれ」。第六の戒めです。しかし、その後の言葉「人を殺した者は裁きを受ける」というのは、十戒には無いのです。それが出て来るのは、同じ20章の12節です。「人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる」と書いてあるのです。恐らくこれを念頭に置いて、イエスがさっきの言葉を語られたんだろうと思います。

ここでは「裁き」というものについては、具体的な言葉は何一つありません。しかし、ユダヤでは律法によって裁かれるのが通例でした。裁判が行われて、そして死刑にあたると決まった者は、死刑に処せられる。

旧約聖書の『出エジプト記』に書いてあることは、今日の世界各国の法律の元だと言われている。旧約聖書のほかにも『ハンムラビ法典』という紀元前18世紀ぐらいの有名な法律があります。世界の最も古い成文法と呼ばれておりまして、『出エジプト記』はその一つです。世界の法律の源になってるのです。

ユダヤの場合は、町の門の所に連れて行って、宗教的な指導者が主になって、事情を質して、裁きが行われる。そしてそれに該当する罪であると認められれば、刑が執行される。リンチは無いんです。そのことを今度のテロ事件に当てはめて考えてみると、テロを実行した人は死刑に処せられるような重大な犯罪人なのです。

今朝の中日新聞にイスラム教スンニ派の指導者の判断がかなり詳しく載せられてありました。「今回あのテロを実行した人は、イスラム法に照らしても有罪である。この犯罪は死刑にあたる」と言っています。イスラム法でもきちんと裁きをしなければなりません。イスラム法に照らしても、それから西洋の考え方に従っても、こういう恐ろしいテロを実行した人は、裁きの座に引き出されて、そして裁かれるということがなければなりません。ただしこの場合は、実行犯はみんな自爆して死んでしまいましたから、それを計画した人とか、経済的その他の支援を与えたグループとか、そして最終的には命令を下して実行させた最高責任者という人たちが法に照らして裁かれるのが妥当だと思います。ただ、その裁きは、神から与えられた律法に従って行われなければなりません。そのことをイエスという方は非常に徹底して考えてらっしゃる。

私たちの生活の中では裁判は無いといけません。それは社会の正義を守るために必要ですし、判決に従って刑が執行されることが必要ですが、私たちが神の立場に立って裁くことはいけないと思います。今のテロ事件に関して言えば、アメリカはあたかも神の立場に立ったような言い方をします。「我々に正義がある。あいつらは全部間違っている」。そういうふうに、神の裁きを代行するようなことをやるときには、誤っていると思います。私たちは相対的な人間であって、絶対的な善を持っているわけではありません。神の立場に立って相手を裁くということは、神様がお望みにならないことです。「殺すな。殺した者は裁きを受ける」という言葉は、犯罪を犯した人だけに当てはまる言葉ではなく、報復をする人にも当てはまる言葉だと思います。

22節に「しかし、私は言っておく」とイエスは言いました。これは昔からのユダヤの伝統ではそうなっているけれども、もっと考えなければならないことがあるという意味です。「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける」。これは、人間の怒りにまかせて恣意的に人を裁くということをしてはいけないという意味ではないでしょうか。

あのテロ事件のすぐ後で、アメリカの全体の人々が陥った危険はそういうことでした。相手がまだ本当にやったのかどうか証拠もあがらないうちに、怒りにまかせ、恣意的に、「あいつが悪い」と、国民のほとんどが思ってしまったということを考えますと、腹を立ててはいけないっていうのは、実に今日的な意味を持っている。だから、兄弟に対し腹を立てることはしてはいけないと言うんです。

その後に「兄弟にばかと言っちゃいけない」、それから「愚か者と言ってもいけない」。私たちは、軽い気持ちで、ばかとか愚か者とか言ってしまいますが、ユダヤのしきたりに詳しい学者の説明を聞きますと、このばかとか愚か者という言葉の中には、「俺とお前とは住む世界が違う」という判断が含められて言われる場合が多いのだそうです。だから、相手に対して、「ばか」とか「愚か者」という言葉を出すときの人間の気持ちの中には、最終的な断罪を行うということなのです。そういうことはしてはいけない。

それから、人に罵られると、スーッと血が引くという経験ありませんか。あんまりひどい言葉で怒られたり、攻撃されたりすると、スーッと青ざめる。ユダヤの考え方では、血が引くとか青ざめるとかいうことは、その人の血が流れることと同じだと言うのです。だからひどい辱めの言葉をかけて、あるいは人を攻撃して、その人が青ざめたりしたときには、その人を殺したことと同じなのです。ですからイエスは、「人を殺す」ことがいけないとて言っているだけではなく、日常生活の中で、相手を殺すに等しいような言葉で罵るということまで含めて戒めておられる。これもまた非常に今日的な意味を持ってると思います。

次に5章の23節以下でイエスは大変重要なことを言っておられます。「だから、あなたが祭壇に供え物を捧げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て供え物を捧げなさい」。この祭壇に供え物を捧げるというのは、礼拝とか祈りとかっていうことと同じように、宗教的な行為です。その宗教的な行為というものをイエスは大変重んじられました。しかし、兄弟が自分に反感を持っていることを知りながら、そのことをほったらかしにしたままで、平然と宗教的な行為を続けることはできないというのがイエスの感覚でした。だから、その宗教的な行為は中断しておいてもいいから、まず行ってその関係を修復すべきだというのです。

兄弟と自分との間に本当に人間としての関係が、お互いに愛し合い、お互いに尊敬し合う、そういう正しい関係が成り立っているということを、ユダヤではシャロームと言います。シャロームというのは、単に戦争がない状態のことではありません。本当に人間らしい関係がそこに成り立っているということなんです。

「ローマの平和」という言葉がありました。アウグストゥスなどの大変賢い皇帝たちがいた時代に、平和が守られていた。そして、物の流通もうまくいっていた。そういう穏やかな時代のことを「ローマの平和」と言いますけれども、実は、ローマが他を圧倒するような強大な政治力、軍事力でもって、不平不満を押さえつけていたのです。ですから、「ローマの平和」というのは本当のシャロームではない。みんな不平不満があるのだけれど、「仕方ないや」と黙ってる。問題は起こさないが、いつその問題の芽が吹いて来るか分からないというような、表面上は静かであるという状態がローマの平和です。

この「ローマの平和」というのは、冷戦時代に現代的なかたちを取とって現れました。強大な軍事力、強大な政治力で、不平不満を押さえ付けている状態を人々は、「アメリカの平和」と呼び、あるいは「ソビエトの平和」と呼びました。戦争中にアジアにあったのは、「日本の平和」だった。本当のシャロームがそこにあるとは言えない。本当に人間と人間とが心を開いて、お互いに理解し合って、お互いの違いも認めて、一緒に生きて行くことができる状態がシャロームなのです。私たちが願い求めているのはそれです。それをほったらかしておいて、宗教的な行事を平気で続けていくことはできないというのがイエスの考えでした。

テロ事件の後で、アメリカでは何度も追悼の礼拝が守られたということを私たちは聞いています。しかし、そこに集まる人々が、「あいつらをやっつけるために、我々が勝つために」という気持ちを抱いたままで祈っていたとすれば、これは空虚な祈りです。この世界に恐ろしいほどの関係の破れがあって、これからもどれほどの多くの犠牲者が出るか分からないというような問題がそこにあるのに、それをほっておいて、報復だというのは、神の意志ではありません。祈りを捧げるというのは空虚です。この破れをを修復することは、全てに優先しなければなりません。

イエスという方は、何を優先すべきかということについて、するどい感覚をお持ちでした。「兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをしなさい」。これは優先順位を示しています。「まず」、仲直りすることだ。同時にこの「まず」という言葉には、先手を取るのは自分であるという意味も込められている。自分がまず始める。

私たちはしばしば、相手の出方によって自分の態度を決めようとします。相手が謝ってくれば許してやらないでもない、いつでも相手の出方をうかがって、それから自分が態度を決めようとします。だれもがそういう考え方をするものですから、問題はいつになっても解決しません。私たちの今の世界で最も大事なことは、そういう悪循環を断ち切る勇気を持つことです。相手が何もしなくても、思い切って自分の方がまず和解の手を差し伸べる。イエスはそう教えます。「和解のための先手」という説教の題はそのことを考えて付けたものであります。

その次に、25節に「あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい」と書いてあります。この言葉の意味も、相手がどういう態度に出るかを見極めるまでは、こっちは何もしないというのではなく、先手を取ってあなたが働きかけなさい。途中で早く和解しなさいということだと私は理解しています。38節以下に「あなたがたも聞いているとおり『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、私は言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」。この言葉はやはり、自分がまず動き始めるべきだ。自分がまず相手に対して和解の手を差し伸べ、働きかけるべきだ。そういう意味を込めています。次の43節の言葉も同様です。「あなたがたも聞いているとおり『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ。そしてそれは、あなたもあなたの相手もみんなが天の父の子となるためだ」と言うんです。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さる」。敵だとか味方だとか言ったところで、私たちは神様がお造りになったこの世界の中に住んでいます。悪人とか善人とかいう区別はささいなことにすぎません。私たちはだれでもこの世界の中で一緒に暮らしています。太陽はだれの上にも同じように昇るし、雨はだれの上にも同じように降って来ます。そのことを知ることで、関係が修復されることがシャロームなのです。私たちが願っているのは、本当にそういうシャロームが私たちの中に実現することです。

ただ、最後によく批判されることについて、触れないでいるわけにはまいりません。こういうイエスの教えは、この世界では非現実的だとしばしば批判されます。

私がキリスト教信仰に入るきっかけとなったのは、この「敵を愛せよ」という言葉だったのです。戦後の混乱期に、私は思想的に本当に混乱していていました。戦争が終わるまで幼年学校の生徒で、軍国少年でしたから、敵を憎むのは当たり前で、アメリカやイギリスを本当に憎んでいた人間です。戦後になってもう何がなんだか分からなくなっていたときに、「敵を愛せよ」という言葉を偶然に聞いて、「これて美しい言葉だろう」と、びっくりしました。だれのが言ったのか調べてみると、新約聖書にそれがある。それから私は新約聖書を一生懸命読むようになったのです。山上の説教を一生懸命読みました。それで最初はこの言葉を見つけることが、ほんとにうれしかった。「これで自分は生きられる」と思ったのです。そのうちにだんだんと疑問がわいて来ました。「こういうことを実際に自分にできるだろうか」と思うようになったのです。それから、さらに時間が経つに従って、こういう生き方をしていると、悪い奴はますますつけあがるし、しまいにはこの世界から正義が無くなるのではないか。イエスのこの教えは、美しいと思うし、そういう世界が来たらどんなにいいだろうと思うけれども、非現実的であると感じるようになりました。私は牧師になってからでも、長い間そう思っていました。ですから今、その現実性ということを重んじる政治的な指導者たちが、これを批判する気持ちはよく分かります。

1980年から81年にかけて、ヨーロッパでは中距離核ミサイルの配備をめぐって、みんながもう一度真剣に「山上の説教」を読み始めようという動きが起こってきました。1981年は、山上の説教をみんなが一生懸命に学んだ年であったと、神学者のモルトマンが言ってます。ドイツでは、この山上の説教のこの箇所が話題になり、キルヒェンタークという何十万という人が集まる信徒大会で、そのことをめぐって聖書講義が行われたり、議論が行われたりしたんです。政治家と牧師のディスカッションがありました。時の首相シュミットがそこに出て来て、神学者と対論しました。もちろんシュミットの立場は、「このイエスの立場を私は尊重するけれども、しかしこれで具体的に政治をやることは自分にはできません」とはっきりそう言いましてた。「やっぱりこれだと正義を守ることはできない、悪い奴はたたかなければいけない」というのが彼の立場だったんです。今のブッシュ大統領も同じような考えだと思います。政治家たちにとっては、これは非現実的なんです。

もう一つの例を、世界史上の実例をあげなければいけません。それは、イエスの非暴力の教えを真剣に実行した人がいるということです。インドのガンジーです。ガンジーはヒンドゥー教徒であります。しかし、並のクリスチャンなんかよりはよっぽど真剣にこの聖書のイエスの教えを受け止めて、そして自分のインドに対する独立運動の中では、「これでやろう」というふうに心を決めました。あのアッテンボロー監督が作った『ガンジー』という映画によく描かれています。それがどれだけ激しい戦いであったか、自分自身との戦いであったということがよく分かります。イギリスの警官隊が警棒を持って殴り掛かる。殴られても殴られてもその友達の倒れた身体を踏み越えて、次の列が進んで行くんです。覚悟はいります。自分も怪我します。しかし、そのことによってインドは独立を達成しました。もちろんそれだけではありません。いろんな他の要素もあります。しかしインドの独立運動というのは、あのガンジーが唱えた非暴力主義によって達成されたということが分かります。これは世界史上の一つの驚くべき事実です。

もう一つあります。アメリカのマーチン・ルーサー・キングです。黒人解放運動の指導者ですが、彼はそれまでは「山上の説教というのは現実的でない」と思い込んでいた人です。あるとき、ガンジーが、ヒンドゥー教徒でありながらこのイエスの非暴力の教えを取り入れてインドの独立運動を達成したということを講演で聴いて、本当に恥ずかしいと思いました。自分はクリスチャンであるし、神学を勉強してドクターまで取って、牧師だと言っているけれども、ヒンドゥー教徒のガンジーに比べて、どれほど真剣にこのイエスの教えを学ぼうとし、それを実践しようと心掛けたか。非常に恥じまして、それから彼は黒人解放運動の中に非暴力主義というのを取り入れました。それがあの運動に尊厳を与え、力を与えたといわれています。

茨坪伝道所の主力を占めておられる方々と、岡崎教会で青年会の活動を一緒にしていた時期にしばしば、あの1960何年かにワシントンでなされたキングの「アイ・ハブ・ア・ドリームI have a dream」という有名な演説を一緒に聴きました。「私には夢がある。いつの日か、かつての奴隷所有者の子供たちと奴隷であった人たちの子供たちとが、兄弟愛のテーブルにつく、その日が来ることを私は信じる。私には夢がある。アイ・ハブ・ア・ドリーム」。彼の指導した運動は、やっぱりイエスの非暴力の教えを真剣に受け止めてそれを実行したことによって、一つの目標に達します。このことも私たちは忘れてはいけないと思います。

そのころ歌われた歌にあの有名な『ウィ・シャル・オーバー・カムWe shall over come』があります。このごろアメリカではあの歌がまた流行ってるそうです。『ウィ・シャル・オーバー・カム』それはテロリズムに対して勝つという意味で歌っているそうです。しかし、本当に敵意というものを、お互いの敵意というものを乗り越えて本当のシャロームが実現される、そこへ行くために我々は自分に打ち勝ち、その敵意に打ち勝ち、そしてどこまでも進んで行くんだ、手に手を携えて進んで行くんだという意味です。「テロリストをやっつける」という意味で歌われているんだとすれば、本来の意味で歌うようにしないといけないと思います。アメリカの人たちにもそういうことを言いたいと思います。

もう一つだけ例をあげます。1989年に東ヨーロッパが大変激しく動いてベルリンの壁が落ちました。事実上崩壊し、東と西が一つになりました。それは1989年の11月9日ですが、10月ごろから東ドイツの中ではデモが盛り上がって、それがあの変革を促したと言われています。そのデモは実は教会から始まったのです。ライプツィッヒに聖ニコライ教会という教会があります。そこでは人権の問題とか平和の問題とか環境の問題とかいうことについて、みんなで真剣に考え合い、勉強し、そして新しい提案を作っていこうというので、勉強会を続けておりました。それが月曜日の夜に月曜祈祷会となって結集するんです。そのことを聞き付けたのが、反体制派のグループの人たちでした。この人たちは今までは、教会に行ったこともないような人が大部分で、反体制運動を密かにやっていたんですが、秘密警察があちこちにはびこって監視していましたから、集まる場所がない。それで、教会では月曜祈祷会をやっていて、人権や平和の問題についてみんなで真剣に考え、祈っているそうだということを聞いて、その反体制派の人たちは、それに参加するようになりました。しまいには3000人ぐらいの人が教会堂にあふれるようなことになったのです。

そして、この人たちがニコライ教会のその祈祷会から街頭に出た。それがデモになりました。街頭デモはライプツィッヒでは教会から始まりました。デモに出る前に、その教会の牧師たちやその地区の監督たちが集まって、祈って、そして「このデモは非暴力で行かなければいけない。どんなことがあっても暴力に訴えないでくれ」と、キングの例なんかをひいてみんなに訴えたのです。「どんなことがあっても非暴力でいこう。ただ、自分たちの求めることは率直にみんなに訴えながら歩こう」。こういうかたちで、非暴力デモが敢行されました。牧師たちやその地区の監督たちは、そのデモの先頭に立ったんですね。危険はいくらでもありました。警官隊は待ち構えていますし、血気盛んな若者たちもこっちの陣営にもいるわけですから、衝突が起こるという危険は何度もありました。その度に牧師たちが体を張ってそれを防いだのです。もちろん牧師たちだけではありません。ライプツィッヒには世界的に有名なゲバントハウスオーケストラの音楽監督クルト・マズーアもデモの先頭に立ったんです。そして、絶対に非暴力でいかなければいけないと、体を張って非暴力主義を守り通しました。ですから、後に「ドイツの変革は一発の銃声も響かずに達成された」と、言われているのです。

そして、その年のノーベル平和賞にライプツィッヒの市民を推薦する人がいました。選には漏れましたけれども十分に理由のあることです。私はそういうことをやった市民の人たちに大きな敬意を抱いています。

政治家の人たちは簡単に、この山上の説教なんていうのは現実的ではないといって一蹴いたしますけれども、私はそんなことないと言いたい。この現代史の中で、大きな役割を演じて、暴力なんかに打ち勝っていったそういう例が三つも四つもあるわけです。しかも大きな歴史の変わり目にです。

これは個人的な関係においても真理ですけれども、この大きな社会の広がりの中でも力を発揮する教えであると、私たちは自信を持っていいと思います。まず先手を取って、本当のシャロームを築くために、絶対に暴力に訴えずに忍耐をもって働きかけていくということが、今のアメリカの政治家たち、指導者たちの間で、本当に信じられるように、そしてそういう方向に事態が向いて行くように私たちは祈らなければならないと思います。祈ります。

主なる神よ。この大変なときに、茨坪伝道所の20周年を迎えまして、共にこのようなかたちで礼拝を捧げることができましたことを、心から感謝いたします。どうか、主イエスの教えが、本当に私たちの中で血となり肉となることができますように、私たちに力を与えて下さい。この茨坪伝道所をあなたが祝福してください。伝道所に属する一人一人の愛する兄弟たち姉妹たち、その御家族、そして今日初めてここにお見えになった方々、この周りに住むたくさんの市民、全ての方々の上にあなたの祝福がありますようにお願いいたします。一言の感謝と祈りを主の御名によって捧げます。 アーメン。

           
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