2016年5月1日 「分かち合い礼拝」での発題 担当 森山昭雄
Ⅰコリント15:52~55
 

52 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。   53 この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。   54 この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。   55 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」

パウロの信仰義認論は異邦人差別を産んだ

はじめに
 イエスの死後、このイエスこそキリストであったと信じる原始キリスト教会に一番大きな影響を与えた人物はパウロです。ペトロも重要人物ですが、パウロのように多くの手紙を書き残したり、キリスト教の神学を明確にしたりはしませんでした。パウロは異邦人伝道への道を開き、ローマ帝国の主要都市に教会の拠点を作ってローマ帝国にキリスト教を広め、同時にキリスト教神学の基礎を築いた人です。パウロの書簡は新約聖書に多数収められ、彼の活躍なくしてキリスト教を語ることができないほど、キリスト教にとって重大な影響を与えました。多くの学者がパウロの生涯と生き方を論述していますので詳細は避け、今回は私の論点にかかわる事柄を中心に記述しておきたいと思います。
 彼の最も重要な思想が、信仰義認論です。それは、「イエスをキリストとする信仰によってのみ義とされる」という思想で、それまでの「人は律法の行いによって神の前に義とされる」という思想を覆すものでした。パウロは、自らも自負するようにユダヤ教ファリサイ派の熱心な信奉者でした。ファリサイ主義の特徴は、神が多くの民族の中からユダヤ民族を選ばれ、その応答としてモーセによって与えられた十戒を(律法) を一つ一つ確実に守ることがユダヤ人の義務であると考えていたのです。そのことの証しがユダヤ民族の割礼であり、割礼を受けていない異教徒は神の恵みを受ける資格がない「罪人」であるとしたのです。だから、異教徒をユダヤ教の証しである割礼を受けなくても神の恵みを受けることができるとする、ステファノなど異邦人キリスト者の言動は、彼にとって赦すことができない行いでした。そこでパウロは、異邦人キリスト教徒迫害の急先鋒となったのです。
 そのパウロが、ダマスコ途上で復活したイエスに出会い、これまでの信仰と生き方を根本的に悔い改め、キリスト教徒を迫害する方向から一転してキリスト教徒となり、イエスをキリストとして宣教する方向に舵を切ったのです。いろいろの曲折を経て、エルサレムの北方にあるアンティオキア教会の指導者となりました。アンティオキア教会は、異邦人キリスト者が多いキリスト教徒の集団で、パウロはイエス・キリストの福音はユダヤ人だけのものではなく、普遍的にユダヤ人以外の人々(異邦人)にも開かれていると考え、積極的に異邦人にも伝道しました。
 そして、もう一人のアンティオキア教会の指導者であったバルナバに誘われて、異邦人伝道の旅に出ました。パウロやバルナバの伝道活動は、ローマ帝国の植民都市に住んでいるディアスポラのユダヤ人及び、ユダヤ教親派の異邦人(「神を恐れる人々」例えばローマ人、ギリシャ人など)を対象にして伝道しました。その過程で、ユダヤ人ばかりでなく、異邦人がイエスをキリストと信じて入信するようになりました。その後、ローマ帝国内の諸地方に伝道旅行を行い、各地に教会を作っていきました。
 パウロの到達した考え方(信仰)は、人は誰でもイエスをキリストと信じる信仰によってのみ救われる、律法の行いによって人は神の前に義とされるのではなく、律法を守れなくても神の救いにあずかることができる、ユダヤ教の基本である割礼を受けなくても救われると説いたのです。それは、ユダヤ教の枠を取り払うことであり、新しい宗教(キリスト教)を起こしたことになります。神の福音をユダヤ教の枠から解放したことは高く評価されることであり、それは現代の私たち異邦人であるキリスト教徒にまで及んでいます。

信じないものは呪われよ(アナテマ)!
 しかし、パウロの「イエスをキリストと信じる信仰によってのみ救われる」ということは、逆に言えば「イエスをキリストと信じない人は救われない」ということです。キリスト教徒以外には神の救いは及ばない、つまり異教徒もユダヤ教徒も救われないと考えたのです。これは、イエスをキリストと信じない人は「呪われよ」という異端排除の思想につながります。パウロは、「しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。」(ガラテア1:7)と言います。この「呪われよ」(ギリシャ語でアナテマ)は、古代教会では「破門」を意味する言葉でした。
 その「呪われる」べき人々の筆頭は、イエスを十字架につけたユダヤ人、パウロの宣教活動に敵対したユダヤ人です。聖書の福音書に記述された物語の多くに、イエスやパウロへのユダヤ人の無理解と迫害が描かれています。それがキリスト教の聖典「新約聖書」として読まれ、すべてのキリスト教徒に語り継がれてきた結果、ユダヤ人は神の子イエス・キリストを殺した人々であり、また初代のキリスト教徒を迫害した人々として、悪魔のように憎まれるようになりました。そして、キリスト教が伝わった社会ではユダヤ人差別が横行しました。
 わたしたち日本人は周囲にユダヤ教信者はほとんどいませんのでユダヤ人差別と言われてもピンときませんが、ヨーロッパ社会では大変大きな問題です。ナチスドイツのユダヤ人ホロコーストの犯罪は良く知られていますが、ドイツばかりでなくヨーロッパ全土、ギリシャ正教のロシアでも、ユダヤ人迫害は古くから歴史を通じて行われてきました。その差別の根源は、聖書に描かれたイエスや初代のキリスト教徒に対するユダヤ人の迫害の記事なのです。このことに対する反省が、キリスト教会の中に起こってこなかったことが問題ではないでしょうか。
 それは、ユダヤ人ばかりではありません。異教徒はイエスをキリストと信じないので呪われるべき存在である、とする考え方がキリスト教徒のなかに染み込んでいます。異教徒とは、キリスト教徒以外のすべての人々、異なる宗教を信じる人々、あるいは無神論者もそれに含まれます。その結果、中世時代の十字軍のように、異教徒の支配下にある聖地エルサレムを奪還すべく軍隊が組織され、大勢の民衆が参加して沿道のイスラム教徒に戦争をしかけ、略奪と殺戮をほしいままにしました。しまいには、エルサレムで数千人の住民を虐殺した事実もあります。
 今、シリアでのISの活動で、またそれによる難民の増加に加えて、IS信者による大規模なテロが発生し、欧米社会ではイスラム教徒に対する反感が増大しています。しかし、こうした歴史を振り返ると、ISのテロは、欧米諸国の支配下での過酷な搾取と弾圧に対する民衆の反発の表れであり、欧米諸国がその罪責を認めて謝罪して関係を改めない限り、ISの活動を抑えることはできないでしょう。ISに対する空爆を、イスラム教徒が十字軍の再来として警戒するのは故あることです。欧米諸国での、イスラム教徒への差別が激化しないようにと祈るばかりです。

「律法の行いによる義」から「イエス・キリストの信仰による義」という思想の問題
 ところで、パウロの思想に戻りますが、私はパウロの「信仰によって義とされる」という考え方に、律法主義の名残りがあると考えています。「義とされる」というのは、ユダヤ教が律法を守るか否かによって「義人」と「罪人」に二分するように、「律法を守ることによって神によって正しいと認められる」(義認)ことが最も重要なことでした。
 ユダヤ教では、「罪」の結果が「死」であり、死から解放されることが「義とされる」ことなのです。パウロにとって「復活」とは、「罪」からの解放でした。そして、パウロは「律法の行いによる義」は否定したものの、やはり人は「神の前に義と認められる」ことが求められていると考えています。キリストの出来事に対する「信仰」の有無によって人間を「義人」と「罪人」に分け、自らを「義人」の側に位置付けているのです。つまり、罪あるありのままの自分を受け入れることができず、「義認」を欲するのです。これは宗教的エゴイズムではないでしょうか。
 パウロは、「律法による義」から「キリストへの信による義」へと変わっただけで、「義人か罪人か」という論理から抜け出していないと思います。つまり、ユダヤ教の論理と同じ枠内で物を考えているのではないかと思うのです。
 歴史的には、イスラエル民族はヘレニズム時代以降、数多くの宗教セクトが誕生し、それぞれのセクトが自らの考えの正当性を主張してきました。自分たちの信仰と行いこそ神によって「義と認められる」のであって、それ以外の他のすべての人間は「罪人」なのだ、として人間を「義人」と「罪人」に二分する思想、二元論的人間観が支配していきました。
 イエスの時代も特にその思想が支配的になっていました。イエスの時代には、ファリサイ派も、エッセネ派も、シカリ派、熱心党などもその例です。共通しているのは、律法を守る人は「義人」であり、守らない人は「罪人」であるとする点であり、それはユダヤ教そのものの持つ限界だろうと思います。
 それに対して、イエスは、「義人」を徹底的に批判し、「罪人」との連帯を志向したのではないでしょうか。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ2:17)。ルカはその言葉に「罪人を招いて悔い改めさせるためである」と付け加えて、「悔い改め」を強調します。イエスの教えを逆の方向に転じてしまうのです。ルカは、イエスをキリストと信じる者には「悔い改めて」清く正しく生きること(義人となること)を求めているのです。ルカばかりでなくマタイもヨハネも同じです。「人はおのが罪を認め、悔い改めて罪を赦されなければ救われない」(ヨハネ9:3)と述べています。
 また、イエスは「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しいものにも正しくないものにも雨を降らせてくださる」(マタイ5:45)と語り、善人と悪人、義人と罪人などと分け隔てする考えを否定しています。そして「罪人」や「悪人」に寄り添い、その苦しみや悲しみを共に担って生きました。イエスには、人間を「義人」と「罪人」とに二分する二元論的人間観はありません。パウロの考えは、イエスの考えとは逆の方向に向かっています。

キリスト神話の誕生
 イエスの死後、弟子たちは彼らの前にイエスが「現れる」という体験をしました。それは弟子たちの共通の体験でした。深い絶望と罪責感の中、イエスがペトロに「現れた」のは、何よりもまずペトロ自身の「罪の赦しの体験」であったと思われます。それは心の中に起こった体験です。弟子たちの「罪が赦された」という体験が、ユダヤ教の神話論的世界観のなかで表現されたのが「復活」であったと思われます。「神がイエスを死者の中から起こした」(ローマ10:9)という信仰告白(もっとも古い信仰告白定式と言われる)は、この「自分に起こった体験」を「イエスに起こった出来事」として、すなわち主観的体験を客観的出来事として語るものです。「起こした」と過去形で語られています。つまり、客観的歴史的事実として語るのです。
 そこで弟子たちはイエスの「死の意味の探求」へと向かい、イザヤ書53章にも導かれてイエスの死を「身代わりの死」と解釈しました。「キリストは、聖書にしたがって、私たちのもろもろの罪のために死んだ。・・・そして聖書にしたがって、三日目に死者たちの中から起こされた」(Ⅰコリント15:3~4)と。
 イエス復活の信仰は、当時のユダヤ教が模索していた神義論的問い――ローマ支配という現実をなぜ神は放置しておくのか――に対する終末論的回答になったのです。すなわち、神が死者を復活させたからには、ついに神は歴史に介入した、いよいよこの世の終わりが始まったのだ、と考えたのです。それが、ユダヤ人が待ち望んでいた「メシア」(キリスト)だった。ここにキリスト論が成立しました。そして時代とともに、メシアから、ダビデの子、神の子、そして神へと栄光化されていった。これが、弟子たちがイエスの生と死を説明し納得するにとどまらず、積極的な宣教活動へと赴いた動機だったと思われます。
 こうして、イエスは、「宣教する者」から「宣教されるキリスト」になった。キリスト神話の誕生です。キリスト教は、イエスの教えを伝える宗教ではなく、イエスをキリストと信じる宗教として成立、発展していきました。その違いは重大です。こうしてキリスト神話がひとたび言語化されると、それが客観的な出来事と理解されるようになります。客観的「歴史」となったのです。イエスが復活したこと、イエスの死が贖罪の死であったこと、イエスがキリストであること、それゆえにダビデの子であること、神の子であること、天上へと高挙したこと、実はもともと天から下ってきた先在であったこと、そもそもすべては神の計画のもとにありそれが実現したのであること、それゆえイエス=キリストとは神の啓示であること、こうしたキリスト神話はすべて「歴史」の出来事とされたのです。それは歴史的事実であるのだから、真実であり、受け入れられるべき事柄と信じられました。
 弟子たちは、このキリストへの信仰を「救済の条件」としました。それがパウロにも引き継がれていくのです。「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」(ローマ10:9~10)。つまり、「信じるなら」救われ、信じないものは救われない、キリストへの信仰が救済の条件になっています。これは、信者と非信者という人間の差別ではないでしょうか。
 パウロは「すべての人は罪人」であるが、キリストを通して義とされるのであるから、パウロの宣教は、世界中の人を「義人」にするために、すべての人をキリスト信者へと帰依させる改宗運動なのです。彼の精力的な伝道活動は、この世をキリスト信者で覆いつくすことが実践的課題だったからです。クリスチャンを多くすることによって神の国を地上にもたらすのだ、と教える教会や牧師が今でも多いのではないでしょうか。キリスト教の独善性です。社会的に多数派になることを夢想する牧師や教会は、「伝道すること」に最大の目標を置きますので、社会問題に関わることに冷淡です。それにも、パウロの考え方が影響しているのではないかと思います。

パウロの倫理的完全主義が「律法主義」になった!
 すべての人の救いについて、パウロは「もはやユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男性も女性もない」(ガラテヤ3:28)と言います。この言葉は、パウロが社会的差別を無化するために語ったとするのは間違いです。これは、キリスト教に入信するには民族や地位や性別には関係ないというだけのことです。逆に言うと、キリスト信者になるならば、その民族も、どういう社会的地位でも、どの性別あろうと救われるのです。そうでなければ、滅びるのです。
 奴隷についても、たとえ自由人になることができたとしても奴隷のままでいるようにと諭しています。パウロは、信者になった後の社会生活における状態の変化を望みません。それは、今が「切迫した危機の時」、つまり「終末が間近に迫っている」からであり、終末の時にキリスト以外の余計なことに心奪われることがあってはいけない、と考えていました。むしろ奴隷のままにとどまって、ひたすら神のことを思いつつ終末を待ち望むことが望ましい、と。冒頭のパウロの言葉のように、終わりの時が切迫しているのだから、社会を変革することなど考えるな、というのです。
 それゆえに女性に対しても、当時の差別的な状態をそのままのローマ社会の秩序(と彼が思っている)をそのまま肯定すべき秩序と考えています。それを教会の中に持ち込みます。「女性の頭は男性であり、・・・女性が男性のために創造された」「女性たちは教会においては黙りなさい」とも言います。それゆえにパウロは信者に、売春婦と交わるな、それは不品行だと言います(ローマ14:34~35)。なぜ一人の女性が売春婦にならざるを得なかったのか、そういうことにパウロは何の関心もない。パウロの社会問題への視座は、終末の完成を前にして社会倫理が欠落しています
 パウロの社会倫理の欠如は、終末論的な時代意識に由来します。イエスの復活によって既に終末は始まったと信じ、その完成を待っているのが現在であり、現在はキリストの再臨の時までの緊張状態に生きているのだ、救済が完成するまでの中間時代なのだ、だからこの世の社会生活などはどうでもよい、社会生活の秩序はそのままにしてひたすら信仰熱心であることが望ましい、と考えていたのです。
 パウロは、「正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。」(Ⅰコリント6:9~10)と述べます。これは、パウロの「悪徳表」と呼ばれるもので、パウロの手紙や新約諸文書にしばしば述べられています。これはヘレニズム世界の倫理観にユダヤ教の倫理観を加えたもので、悪徳とみなされる行為を行うものは教会から取り除かれます。「外部の人々は神がお裁きになります。『あなたがたの中から悪い者を除き去りなさい。』」(Ⅰコリント5:13)と。
 「偶像を礼拝する者」を悪徳とするのはユダヤ教の律法です。あとは、パウロの目から見て異教徒(ローマ社会)の典型的な悪の振る舞いです。「男娼」や「男色をする者」は当時のローマ社会では普通に行われていた行為です。現代ではホモやレズビアン、あるいは性同一性障がい者は性的少数者として人権が認められつつありますが、これが現代の日本の教会でもそれが認められない現実があります。あからさまな差別があります。それはパウロの悪徳表の影響です。何が倫理的であるか、非倫理的であるか、絶対的基準があるわけではない。それは時代により地域により異なる文化規範あり、社会通念に過ぎないのではないか。キリスト者は、そうした社会通念にしたがって完璧に倫理的に生きることが求められてしまうのです。倫理的な完全主義です。
 パウロにおいては、キリストを信じる者の集団である教会は「義人」の集団でなければならないのです。かつての「律法主義者」パウロが克服したはずの律法主義が、倫理的完全主義に姿を変えて信者を縛り始めたのです。
 それはいまだに続いています。とくにプロテスタント・キリスト教会は、ルターがパウロの信仰義認を再発見してパウロを高く評価したために、禁欲主義的な考え方が生き続けています。そこでは、清貧に甘んじ、清く正しく生きるキリスト者が理想とされ、そのような生き方が求められます。いわゆるピューリタニズムは、パウロの倫理的完全主義に由来するものではないかと思います。
 人間は、完全に倫理的に正しく生きることなど決してできません。そのように教えられた信者は、絶えず清く正しく生きることができない自らの「罪意識」に怯えて生きていかねばならないのです。これは不幸なことですが、多くの教会でそのような教えがまかり通っています。まさに「罪の牢獄」です。しかし、十字架の場面ですら、イエスの言葉には弟子たちの裏切りや否認、自分を見捨てて逃げ去ったことに対する非難や断罪が一切ありません。イエスの死は、不完全なものを不完全なままで受け入れる神の救済行為ではなかったのでしょうか。

 おわりに
 上村静氏の『宗教の倒錯』を参考にしながら、それを私の言葉で表現してみました。ここに述べてきたことは、従来のキリスト教会の常識を覆すもので、過激に聞こえるかもしれません。しかし、キリスト教会がパウロを偉大な使徒とだけ位置付けることには問題がありすぎます。確かに人々を律法主義から解放し、民族宗教のユダヤ教を超えてすべての人々を神の福音を開いた「功」は高く評価されますが、反面、キリスト教に排他性や倫理的完全主義を持ち込んで、イエスの教えとは逆の方向へと導いた「罪」を考えないわけにはいけないのではないでしょうか。このことの根本的な克服を抜きに、キリスト教の将来はありえないと思います。キリスト教会は、再び原点に戻り、本来の「イエスの教えたこと」そのものに戻らなければならないと思います。その基本は、「人を大切にすること」に尽きると思います。

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