28月16日 島 耕一牧師のメッセージ

ナザレで受け入れられない

ルカによる福音書4:16~30
◆ナザレで受け入れられない
 

 16 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。   17 預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。  
 18 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、
 主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、
 捕らわれている人に解放を、
 目の見えない人に視力の回復を告げ、
 圧迫されている人を自由にし、  
 19 主の恵みの年を告げるためである。」
 20 イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。   21 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。   22 皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」   23 イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」   24 そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。   25 確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、   26 エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。   27 また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」   28 これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、   29 総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。   30 しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。

イエスがナザレに帰ってきて、聖所に入ったときのエピソードであります。
イエスが会堂の中で、イザヤの書とされていますけれども、預言書を読み上げたとき、この人は「ヨセフの子ではないか」と投げかけられています。さまざまな捉え方ができる言葉でありますけれど、大工の子は大工でしかない、祭司の子は祭司、漁師の子は漁師、というのが当時の一般的な感覚でありました。そしてそれは世界中、いつの時代であっても、ある程度は存在する考え方であると思いますけれども、特にイエスが生まれた時代、場所においては、生まれた瞬間に運命が決まっていたわけであります。
そのように考えてみますと、「ヨセフの子ではないか」という言葉には、会堂で聖書、または預言の言葉を解説するような資格はない。あの男は大工の子ではないか、我々と何も変わらないのではないか、という捉え方ができる言葉であります。しかし、違う捉え方もできるように思うのです。今日の箇所と並行箇所になります、マルコによる福音書の6章の3節には同じような箇所が収められているんですが、特にこの箇所について大きな違いが見られます。お読みします。
『「この人は大工ではないか。マリヤの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように人々はイエスにつまずいた。』ルカ福音書ではヨセフの子になっているのにマルコでは「マリヤの子」になっている。おそらくルカが書き換えたのではないかということが想定されるわけです。
マルコの6章3節からイエスの家族構成がよく分かるというふうに解説されるんですけれど、少なくともイエスには4人の兄弟がいた。そして二人以上の姉妹がいたので8人兄弟。そして私たちが知る限り、イエスはヨセフとマリヤの長男であったはずなので、8人兄弟の中の長男で、大黒柱であった。マルコでマリヤの息子だといわれていることからおそらく父親であるヨセフは死んでいたはずですから、7人の弟や妹を抱えて、イエスは大黒柱として生活を担っていたわけです。そうするとマリヤは、イエスが出て行ったことに対して非常に不満を覚えていたでしょうし、そのイエスがガリラヤを廻っていて、カファルナウムというガリラヤ湖畔の町からナザレに帰ってきたとき、その話を聞いてイエスの所に行って、帰ってこいというのは当然のことだと思うのです。

しかし、ルカによる福音書における記事ではそうしたことは全くふれず、ヨセフの子ではないかというふうにしている。そして22節には「イエスをほめ」というふうに書かれている。ですからおそらくイエスに対して、大工の子である人が聖書の解釈、律法の解釈、預言書の解釈をするのにふさわしくないんだという否定的な意味合いではなく、自分たちに身近な者が立派になって帰ってきたというふうに肯定的にとらえて、ヨセフの子ではないかといわれているんではないかと思うのです。
 立派な預言者、教師として、大工であったあいつが帰ってきた。これからは自分たちを導いてくれるかもしれない、というような思いを持っていたのではないでしょうか。そしてナザレの人々は、イエス様は神の力をもって教えを述べ、さまざまな癒しを行っていたことを知っていたはずであります。その噂を当然耳にしていたはずですから、「たかが大工の子のくせに」といった侮蔑の言葉ではなく、自分たちの身近な存在が立派になって帰ってきた。きっとこの町ナザレにおいても立派な教師として、癒し手として働いてくれるのではないか。より以上の行いを積み重ねてくれるのではないか。そんな思いをもってイエスを迎え、「ヨセフの子ではないか」と述べたのではないかと考えられるんです。
 16節のほうに返っていきたいと思うのですけれど、「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り」と記されていますけれど、イエスが活動の中で日常的に行っていたことをまたナザレでも行ったというニュアンス、意味が込められていると思います。そしておそらく当時のユダヤ教の会堂、シナゴーグといわれますけれど、その中において聖書を朗読することは、どのような人であっても、もちろん男性だけだと思うのですが、任せられたと思うのです。帰ってきて地域社会の中心である場所で聖書を朗読するということは、帰ってきたよ、という挨拶のようなニュアンス、場であったというふうに考えられます。そしてイザヤ書を朗読して、この言葉が預言として実現したというようなことを言っています。

18節19節を読みます。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵の年を告げるためである」。これは、イザヤ書の引用なんですけれど、イエスの活動全体を説明したものといえます。そして「今日実現する」と話される。それを聞いて、イエスをほめて深い意味で驚いて、「ヨセフの子ではないか」と言ったんですから、当然このナザレの町でも立派な教えを伝えてくれるだろうし、さまざまな癒しを行ってくれると受け取ったと思うのですが、ナザレの人々の思いは、次に語られるイエスの言葉によって180度転換してしまう。怒りに変化することになる。
 23節から27節をお読みしたいと思います。『イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、[医者よ、自分自身を治せ]ということわざを引いて、[カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ]というにちがいない」そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった」』
 エリヤもエリシャも王国時代。ダビデの王国の時代、二王国時代も当てはまりますけれど、ひろく活動した預言者として知られております。両者とも大変尊敬を集めた預言者であります。特にエリヤという預言者は福音書においてバプテスマのヨハネとしてとらえられ、異教の神と戦い、時の王たちにも命をねらわれたんですけれども、まっすぐに神の道を歩んだ人でありました。しかしその神に集中する誠実さ故に当時のユダヤ人から厭われた預言者でありました。そしてエリヤ、エリシャに共通することなんですけれど、かれらの活動はイスラエル民族、ユダヤ人にとどまらず、イスラエルの民の住む地域を越えた形、民族を超えた形で活動した預言者であります。

ナザレの人々は、この二人の預言者に関する言葉を聞き、憤慨してイエスを追い出して、崖の上から突き落とそうとしたと記されています。何故そのようにしたのか。それはエリヤやエリシャに関する言葉を聞いて、神の福音というものが自分たちの所に来ないと受け取ったわけであります。イエスがナザレにおいて奇跡を起こすつもりがないのだということを知って、怒ったわけであります。
 私は、イエス様は最初からナザレにおいて奇跡を起こさないつもりはなかったと思うのです。当然カファルナウムやほかの町々と同じように神の教えを宣べ伝え、病の人々には痛みから解放する働きをしようとしていたと思うのです。しかし、ナザレに人々が「ヨセフの子だ」と言ったとき、自分たちの親類関係だ、家族だとして、囲おうとしてしまう。イエス様という存在がユダヤ人たち、世界の人々、ギリシャ人たち、そうした人々のものではなく、自分たちのものなんだという意識に対してイエスはあえてエリヤやエリシャのことをあげて、自分に与えられている役目について、あえて反感を買うようにナザレの人々に話したのではないか。
 郷里であるナザレに帰ってイエスは、あの隣に家に住んでいたヨセフの息子だ、とか、親戚のマリアの息子だと言われますと、何らかの感情が浮かびましょう。またイエスがナザレという生まれ育ったことで、日常的に生活している生活感よりもより近い、村の人々とのつながりを持っていたのではないかと思うのです。そういった人たちに対して、あえて、エリヤやエリシャの話をするというのは、結構勇気が要ることではないかと思うのです。あなたたちが考えているヨセフの息子ではないよ、あなたたちが考えているマリヤの息子、ほかの兄弟たちの兄ではないんだという宣言であるわけです。

そういった文脈の中において、ほかの箇所でイエスがこんなことを言っています。同じルカによる福音書の8章の19節から21節なんですけれども、お読みします。『さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくことができなかった。そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。するとイエスは、「わたしに母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」と、お答えになった。』要するに家族を否定している。違う言い方をすると、家族主義を完全に棄てたという姿があります。
 違う箇所になりますが、マタイによる福音書の10章の34節から39節ですが、ここにもイエスの考えを知る箇所が収められています。『「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛するものは、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」』
 ずいぶんと厳しい言葉であります。しかしナザレにおけるイエスの出来事、また家族の関係からいうと、あらゆる集団的な圧力に対する批判として捉えることができる。家族に対して、自分なりの思い、妻への思いとか、夫への思い、息子・娘への思い、その他の人々への思いというものを一度壊してみないと、福音、イエスが伝えていることは伝わらないのではないか。イエスの真意はそこにあるのではないか。あらゆる集団的なものへの批判とするならば、言葉にするならば、イエスは絶対的な個人主義を実現すべきだと考えていたのでしょう。
 イエスは自分の故郷であるという文脈の中で、ナザレを特別視することはなかった。言い方を変えますと、家族や親類関係など身近な存在同士が持つであろう思いやりの関係・特別視を批判していた、と思えるのです。しかしナザレの人たちは違っていたわけです。隣町であるカファルナウムやほかの町々で数多くの癒しを行っていたイエスが、ようやく帰ってきたと考えていたかもしれない。おそらく自分の町では、ほかの町よりも関係が近いわけですから、より多くの癒しなりより多くの奇跡を行ってくれるだろうと考えていた人たちが待っていたのではないでしょうか。
  そしてイエスがついに帰ってきた。立派な教師としてそこに定住して、よりよいナザレにして欲しい。自分たちの生活をよりよいものにして欲しいというふうに考えていたかもしれません。しかしイエスは「預言者は自分の郷里では歓迎されないものだ」と述べ、ナザレの人々の思いを真っ向から否定するわけであります。

話は変わりますが、昨日は終戦記念日でありまして、一昨日の夕刻、敗戦から70年を覚えての首相の談話が発表されました。戦争の歴史の上で、過去の戦争の過ちを考える上で、とても重要な事柄であったと思います。内容については批判だらけですが。
 報道の中で非常に印象に残ったことは、あの談話の中で「私は」という主語が一言もなかったということです。「私は」という主語が、私も気をつけて遣っています。例えば礼拝説教の中で、「私は」と言うときと「私たちは」というのはずいぶん違います。「私たちはこう思う」と言っていても、僕と違う考え方をする人もいるというかもしれません。それを無理矢理に、「私たちは」と言ってしまうと違和感を覚えることもあるかもしれません。あの談話にしても、何かの意思表示で「私たち日本人は」と入っていたとしたら、非常に気持ち悪い感じがするかもしれません。そういう意味で、自分の意思をはっきり伝えるために「私は」という言い方は大事なことだと思います。
 2年前に、神奈川教区では社会委員会で毎年8月になると平和集会を開いていました。講師を呼んで、平和の問題についての講演を聴いて、質疑をして、集会宣言を採択するんです。集会宣言はだいたい主催者側が文章を書いて、読んで採択して、その後でデモに行くというのが毎年の流れだったんです。2年前にある青年が、その集会宣言の最後の言葉を変えてほしいと訴えました。いろいろな主張が書かれ、最後に、「参加者一同」とあったんです。大筋では納得するけれども、ちょこちょこ私の考えと違うところがあるので、宣言はいいけれども、「参加者一同」は削ってくれと言ったんです。
 私はその時、集会の司会をしていて、その宣言を書いた人だったんです。正直、めんどくさいなと思ったんです。でも後々になって考えたときに、このことは大切なことかもしれないなと思ったんです。
 今回の70年談話にふれたときに、私たちは違った考えを持っている。あの受け取り方は違う。ここは違う、といろいろ言いたいことは出て来ます。外の人から見たときに、あの言葉は日本人の言葉だということになってしまう。どういうふうにそうしたずれを考えていくかというのは大きいと思います。
 そういう意味で言えば、政治家の述べる言葉は大きい言葉だと言っていいと思いますが、その大きな言葉に対して是か非かという思いをはっきり言葉にすることは大事なんじゃないでしょうか。なかなか言葉にまとまらないことであっても、「否」、ということは大事なんではないか。

私たちは平和の問題だけではなくて、いろいろな人とのつながりの中で生きているんです。私も今、子育て世代ですから、子どもと向き合うときに、子どもの意見を聞かずに押さえつけてしまうのと、話を聞いて対話していくことではずいぶん違います。正しさを一方に押しつけるだけでは、本当にそれを理解したことになるだろうか、ということがあるなと思います。
 平和ということを考えたときに、ただ単に平和が良いということだけではなくて、あらゆる人が自分の意思をはっきりと表現できて、そういう中で具体的な平和を造り出していくことが重要かなと思うのです。
 この時期、過去の戦争の記憶、全体主義に陥ってしまった日本の状況、世界の状況とか、いろいろな過去を考える番組から考えさせられるんですけれど、平和は大切であるけれども、その平和を造り出す地盤というのはいったい何かということを思います。教育の課題であったり、家庭環境の課題であったり、そういったものの積み上げの中から平和というものを考えていかなければならないなと思います。

聖書の話に戻りますが、イエスのナザレでの態度も同じではないか。ナザレの人々にとっては、ナザレの人々の平和の姿、安全の姿があったわけですが、イエスはそれに「ノー」と突きつけたわけです。それは同時にイエスがこれから歩んでいく歩みを指し示していたと思います。家族主義や民族主義、地域主義というものを超えて、自らの神の福音が広がっていくんだということを、この箇所は暗に示していると思います。聖書の中において、新約聖書・旧約聖書・福音書の中でも神の意志が明らかにされたとき、人々はとてつもない怒りをもってそのことを語った人を押しつぶそうとすることがあります。この箇所における、イエスに対するナザレの人々もそうです。要するに殺そうとしたわけです。
 またエルサレムにおいてイエスの処刑に賛成した人々、使徒言行録においてステファノに石を投げて殺したユダヤ人たちも同じではないか、と思うのです。その人たちの怒りというのは、ただ単にイエスや預言者たちが気に入らないとだけではなくて、神の意志が自分の思った形では来ないということを明らかにされた怒りだったと思います。神への怒りといってもいいかもしれません。自分の思い通りにならない現実、神に対する怒りであったかもしれません。
 そうした怒りが今日の箇所におけるイエスや、預言者たち、ステファノへも向かっていったわけです。その時、イエスは「人々の間を通り抜けて立ち去られた」とあります。イエスはナザレの人々に対して何も語らずに過ぎ去ったわけです。イエスは神の子として、ナザレの人々を諭すわけでも、反論するわけでもなく、罰を下すのでもなく、ただ立ち去られたということをこの表現は示しているのではないでしょうか。
 イエスの歩み、イエスの福音が始まっていくと思うのですが、ここから使徒を通して、教会を通じて世界中へとイエスの教えは広まっていくわけです。今日の箇所はその始まりを告げる言葉であると思います。ナザレの人々の言葉を聞いて、イエスはナザレの人々を特別扱いしたらキリスト教の教えは、地縁や血縁によるもの、民族主体のものとなっていったかもしれない。しかしそうはならなかったということをここから受け取りたいと思います。
 この箇所には、キリストの教え、福音というものは血のつながりや民族、地域性というものを通じては伝わらないということを示しているのではないでしょうか。そして8月という時期、平和ということを考える時期に当てはめて言うのであれば、平和というのは一つの国家や一つの国の安全という旗印からは始まらないということ、実現しないということを受け取りたいと思います。私たち一人一人が、イエスに立ち去られないような信仰、ナザレの人のようにイエスを独り占めしないような信仰、ただイエスの近くにいたいということを求める信仰を与えられるように祈り、今日の話を終わりたいと思います。お祈りいたします。

主イエスの父なる神よ 暑い日々が続いておりますけれども、あなたに集められて今日共にここにおいて礼拝を守れたことを感謝いたします。8月暑い日が続いておりますけれど、この夏というのは、日本において、アジア諸国、また世界に未曾有の被害を及ぼした過去の過ちについて考える日々であります。時の政府はいまだ幼稚な自己主張に終始し、安直な歴史理解と独りよがりな謝罪によって過去を封印し、諸国における多くの人々に、そして日本国内における犠牲者の犠牲に向き合えていない現実がいまだあることを、私たちは嘆いております。そのような状況の中にありましても、私たちが、あなたが目指す、あなたが指し示す平和を求めて日々の生活を営み、人と人の関係を築いていくことができますように導いてください。ここに集うもの一人一人あなたに感謝と祈りがありますけれども、どうかそれらをあなたが聞き入れてください。この祈りを主の御名を通してお祈りいたします。 アーメン

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