2019年2月7日 東のぞみ牧師の礼拝メッセージ

生きたいように生きる

ルカ福音書 8:4~8
 

◆「種を蒔く人」のたとえ
4 大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。5 「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。6 ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。7 ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。8 また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。

おはようございます。
 先ほどのお祈りの中でも意識されているのだろうなと思いながら、心を合わせてお祈りさせていただきました。小学校4年生の女の子がお父さんの暴力を受けて亡くなった事件について、ニュースをご覧になった方も多いと思います。
 報道では父親の冷酷さとか、暴力性というものが取り上げられますので、見ているとものすごく怒りが湧いてくるんです。なんてひどいんだと。こんなひどいことをする人には、重い罰を与えないと気が済まないなというような気持ちにもなったりするんですが、きっと多くの人がそういった思いを持っているのではないかなと思うわけです。
 日本では、こうした虐待の問題というのは氷山の一角で、他にもきっと、今苦しんでいる子どもはたくさんいるわけです。そんな中で、このお父さんだけを咎めたところで、なにかが解決するのか、他の子どもたちを助けることができるのかということを考えると、きっとそうはならないだろうなと思うわけです。
 あるいは、わが子に暴力を振るって命を奪ってしまうということは、本来はあり得ないことだと思いますから、きっと何らかの深刻な問題を、両親共に抱えていたのではないかとも思うわけです。例えば、お父さん自身の生育環境に問題があったのかも知れないとか、あるいは仕事がきつくて職務上、追いつめられた状況にあったのかも知れないとか、あるいはずっと自己肯定感が乏しくなるような体験ですとか、精神的な病を抱えていたのかもしれない、というようなことも想像するわけです。
 そうであるならば、そうした彼の問題は、私たちが非難をしたり、咎めたり、今後重い刑罰を受けることで、なにか進展することがあるのだろうかという疑問が湧いてきます。あるいは、私たちはもっとずっと深いところから、今回の事件のような、弱い存在に向けられる暴力の問題について、向き合っていく必要があるのではないかと考えています。今日はそうしたことも踏まえつつ、聖書を読みたいなと思っています。

 今日読んでいただきました箇所は、イエスによる『種をまく人』のたとえ話です。まかれた種のさまざまな境遇が並べられています。[ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしま]いました。[ほかの種は石地に落ち、芽は出たが水気がないので枯れてしま]いました。[ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。]ということで、おそらくこれは芽が出たけれど茨の中で伸びることができなかった。そのようなそれぞれの厳しい状況というものが、最初に出てきます。
 ところが、それらに対して、良い土地に落ちた種は、生え出て100倍の実を結んだと語られています。このたとえ話は、ルカ福音書だけではなくて、マタイ、マルコ、いわゆる共観福音書、それぞれに出てくるわけですが、古い、もともとの伝承があっただろうと思われます。それを見て、マルコは書き記し、ルカとマタイもそれぞれの観点からこのたとえ話をおさめていると考えられます。
 その、古いもともとの伝承の段階では、ちょっと書かれ方が違ったのではないかと言われています。神の国というのは、こういうところですよというものを示すために書かれていたというふうに考えられています。小さな種が石やいばらなどのさまざまな困難を経験しながらも、やがてはたくさんの実を結ぶ。この世においては、ちっぽけな存在であっても、そしてその小ささゆえに、さまざまな困難に直面していても、やがて来たるべき神の国においては、そうした困難を乗り越えたからこそ、私たちは立派な実を結ぶことができる。神の国はそういうところだから、そのように信じて今の世を生きなさいというメッセージがもともとだったのではないかと言われています。
 ルカ福音書にまとめられている、今日、読んでいただいたような内容、この箇所を読んでも、もともとの伝承の、いわゆる信仰者の成長を促す物語、あるいは個人の努力を励ます内容、そのように、ルカにまとめられているものを、受けとることはできるかと思います。ですが、また違った視点を持って、違った角度からも読めるように構成されているのではないかなと、私は思っています。
 私が小さいころに、教会学校で見た紙芝居はもとの伝承とも、ルカのお話しにもさらに改作が加わって、まとめられていたかなと思うのです。たしか、良い土地に落ちて、芽を出して、しっかりと根を張って、100倍の実を結ぶクリスチャンになりなさいというメッセージが込められていたような記憶があります。 そういう価値観から、石地やいばらに播かれる種、あるいは鳥に食べられる種については、「あんなふうにはなりたくないな」という感覚は持っていたかなと思うのです。ですから、何となく正しく生きるということや、さらなる努力が求められているような気持ちになっていましたし、一般的な価値観の中でも頑張れば報われる。もっと頑張らなくてはいけない。そんな感覚があったかなと思います。ですから、何となくこのたとえ話を目にするたびに、背伸びをしなければいけないような、あるいは何か締め付けられるような違和感をずっと抱いていました。

 けれども、大人になって読み返していくうちに、もっと違う読み方ができるのではないかなと思うようになってきました。今はどんなふうに捉えているかというと、道端に落ちたもの、鳥に食べられたもの、石地に落ちたもの、いばらの中に落ちたもの、これらは種自身の力によって今のその状況が出来ているのではなくて、周りにあるものや環境からの働きかけを受けて、それに対してうまく応えることができない。その結果、自分の歩みたい道を進んでいけない状況を表しているように見えるわけです。
 一方、良い土地に落ちた種は自分から芽を出して、成長して、実を結ぶまでに至ります。自分のやりたいことを、やりたいようにできる状態を表しているのかなと思います。ですから、個人の努力というだけではなくて、「関係性の問題」がテーマではないかなと感じているわけです。身近な人との関係、あるいはもっと社会の中における人間関係、人生の歩み方、そうした私たちが日常的に置かれている状況がここには表れているのではないかなと感じるわけです。

 昨年の10月にシリアで拘束されていたジャーナリストの安田純平さんが解放されました。彼が解放されたときに、いわゆる自己責任論が、また叫ばれていたかなと思います。海外で誰かが人質で捕らわれた、というニュースが入るたびに、自己責任論というものが叫ばれるようになっています。海外のメディアでは、日本で解放の知らせとともに起こる声を異常なものとして、なんで「お帰りなさい」と言えないのか、それは異常ではないかとして取り上げられていたようです。
 この自己責任論というのは、いつから広まっていったのかなと思うのです。記憶の糸をたどるためにインターネットで調べてみると、自己責任論が流行語大賞でトップテン入りをはたしたのが2004年とありました。何があった年かというと、その年の4月に高遠菜穂子さんを含む3人の方が、イラクで拘束され、その後解放されるという事件がありました。この事件について小池百合子が、「一般的に危ないといわれているところに、あえて行くのは、自分自身の責任が多い。」と語ったことが、この自己責任論の端緒ではないかと言われています。
 他にも、そのコメントに便乗するように、当時の小泉内閣の数名が同じような発言をして、それがやがて日本では常識であるかのような流れが作られていったというふうに記憶しています。私はやはりこの言葉がどうしても嫌いなんです。なぜなら、人間の豊かさや想像力、共感する力をジワジワと破壊するものだと思っているからです。
 この自己責任論を振りかざすと、例えば聖書の「よきサマリヤ人」とたとえは、成立しなくなります。追いはぎに襲われるような所を一人で旅していたその男が悪い、自己責任だというわけです。するとサマリヤ人の出番が来る前に、物語が終わってしまいます。すごく人間の豊かさが剥ぎ取られていくなと思うのです。
 自己責任を説明するときに、“自由意思によるものだから、何かあれば責任を負うべきだ”と言われます。しかし、この自由意思という言葉にも私は引っかかりを覚えるのです。「自分の意思」というと、自分ひとりで決めたことという印象を持ちますが、何をするにしても、私たちは自分ひとりで決めていることなどあり得るだろうか。あり得ないんじゃないかと思うわけです。誰かの何かに影響を受けて、あるいは出会いの積み重ねがあって、それが何らかの行動を起こす原動力となって、今の自分がいる。特に、私たちクリスチャンは出会いというのは、与えられたものと受けとめますから、与えられた出会いの積み重ねで、今があるのではないかなと思うのです。
 そういう視点で捉えると、自己責任という言葉自体、はたして概念として成立しうるのでしょうか。安田純平さんは無事に帰国されましたが、人質となった人の中には、悲しいことに殺されてしまった方もおられます。2004年、高遠さんたちの事件の半年後に、また日本人の青年がイラクで拘束されました。香田証正さんです。この時には自己責任という言葉が定着し始めていて、ワイドショーなどでも、危険地域にいた香田さんを非難する言葉が飛び交っていました。半ズボンで歩いていたから悪いんだとか、あんなところに何も知らずに行っていたから悪いんだ、というような言葉が飛び交っていたと思うのです。
 私の友人が九州で牧師をしていまして、香田さんのご両親が所属する教会の牧師でした。10月だったので、教団総会が行われていて、たまたま彼女と一緒にいたのですけれど、そこに電話がかかってきて、彼女が青ざめていたんです。それでこの事件のことを知ったわけです。
 その翌年に私は島と一緒に九州旅行をすることになって、その友人のところを訪ねましたら、香田さんのお父さんに会いませんかと紹介されて、ご自宅におじゃまする機会を与えられました。しばらくお話しをしていましたが、やはり自己責任論の名の元に、ご家族が随分と責められて、事実とは全く違う報道のされ方もされていたようですし、マスコミの取材の申し入れなども随分乱暴なもので、殺害された被害者であるにもかかわらず、彼やご家族を社会が裁いて、何重にも苦しめてきたということを改めて知りました。
 お父さんは事件後に息子さんの足取りを、情報でたどって行かれました。息子さんが考えておられたことを何とか知ろうと思っていました。もともとニュージーランドに香田証正さんは行かれていたんです。ワーキング・ホリデーで行かれていた。ご家族はずっとニュージーランドにいらっしゃると思っていた。ところが、イラクにいくことになり、なぜ?というところだったんです。どうやらニュージーランドでいろいろな出会いがあって、彼は義足とか義手というものを作る仕事に就きたいと考え始めていたようです。特に戦争で傷ついた人たちの力になりたいと考えておられたということでした。それも、出会いによって、そのように考えるようになっていったということなんですが、そうした繋がりからイラクに旅することになったということが分かりました。
 香田さんはイラクに出発する前に知人に対して、こんなことを話していたそうです。私もこれは新聞で読んだのですが、「やはり戦争を知らないと、平和は語れないですよね」と。24歳の青年がこう話していたということです。当時何を思っておられたのか、本人から直接聞くことができないというのが本当に残念だなと思うわけです。まだまだ多感な歳で、海外での経験によって、いろんな刺激を受けていたのかなと想像します。戦地へ行くのだから、本当に準備が整っていたか、的確なアドバイスをくれる人が周囲にいたかなど、後になってみれば色々と問題はあったのかもしれませんが、いずれにしても彼を動かした原動力は、彼の意思だけとは言えず、さまざまな経験や出会いがあってこそのものだったのではないかと思えるわけです。

 人間の営みとは一人一人とても複雑なものであって、単純に、責任が負えると言い切れるほど、自己というものは独立して成り立っていないのではないかと考えます。ですから、冒頭で触れた虐待事件もまた、一つの家庭や一人の父親の責任と捉えることができないのかなと思うわけです。それに私たちだって、彼が持っていたような危うさや暴力性を、他人事として流すことができない現実を生きているのではないかと感じています。

 2月11日に名古屋教会を会場に行われた、「建国記念の日反対」の集会に行きました。
 森さんはオウム真理教のドキュメント映画の監督をされたり、死刑制度について書かれたものがあったりする方で、最近では死刑制度にはっきりと反対の姿勢を示しつつ、刑罰の厳重化の問題についても著書を出されています。今回の集会では、ノルウェーのオスロ刑務所を訪問取材した映像を見せていただいたのですけれど、その内容にとても驚きましたし、今日お話ししたいなと思っていた部分と随分重なるものがあるなと感じましたので、少し紹介させていただきます。
 ノルウェーは1980年代から刑罰の寛容化に取り組み始めたとのことでした。寛容化というのは、できるだけ、刑罰を厳しくするのではなく、緩めていくということです。どういった内容かというと、具体的には、囚人がそれぞれ個室を持っていました。テレビや音楽プレーヤーを持ち込むことも許されていましたし、食事は共同のキッチンに冷蔵庫があって、そこに食料がたくさん備えられているので、自分たちで栄養満点の料理を作って食べるということができます。フロアーで食卓を囲むのですが、ほかの囚人と一緒なのはもちろん、看守も一緒にテーブルを囲んでいました。図書室があって、自由に本を借りることもできます。すごいなと感動しましたし、日本刑務所とは随分違うなと思いました。
 驚いたのは、囚人には年に5日ほどの休暇が与えられていることです。休暇中に自宅に帰ることが出来るのです。日本では刑務所に入ってしまうと、家族の縁が切られてしまって、出所後の行き場がないという問題があります。そうすると本当に頼る人がいなくなってしまう。そういった事がないように、ノルウェーの刑務所では敢えて自宅に帰る機会を設け、家族とのつながりを保ってもらう。出所した後、更正の下支えを一緒にしてもらうといった、狙いもあるとのことでした。そして、休暇中に、今まで逃げたり行方不明になった人はいないそうで、必ずみんな戻ってくるのです。囚人の方がインタビューに応えていましたが、刑務所の中で、罪を犯したこと、過去の自分というものをそこで見つめる機会が与えられた、と。また刑務所内で規則正しい生活を送ることが出来ているので、更正して、出所しても、自立した生活を送ることができる自信が持てた、ということでした。
 寛容化の実施によって実際どうなったかというと、犯罪率が低下して、特に再犯率が劇的に少なくなったということです。また、殺人などの重罪の事件は、ノルウェー国内で年に1,2件発生するぐらいになりました。
 ところがそんな中で、2011年にノルウェーで深刻な殺人事件が起こってしまった。ひとりの犯人が、たった1日で77人の命を奪ったという事件が起こってしまいました。犯人は移民政策に不安を抱いている、極右思想を持った人物だったそうで、傷ましいことに、77人のうち、69人はキャンプに参加していた10代の子どもでした。
 森さんは事件直後に起きたことを取材して、分かったことを話してくださり、その中で私が忘れられない出来事がありました。家族が現場にわが子を迎えに駆けつけていった。亡くなったわが子の姿に泣き崩れている人はたくさんいた。そのような中で、犯人の母親も現場に駆けつけていたそうです。そのような状況で日本だったらどうなっているか?想像すると恐ろしい気持ちがするのですが、子どもたちの家族がどうしたか。実際に、その犯人の母親を取り囲んで、その中のひとりのお母さんが彼女のもとへと歩み寄って「あなたが一番辛いでしょうね」と泣きながら、彼女を抱きしめてお互いに涙したそうなんです。いまの日本でこんなこと、ありえるでしょうか。
 ノルウェーでは、寛容化政策の実施によって、人々の心の中に復讐や暴力の連鎖を断ち切る思いというのが根づいている、そのことが非常に驚きでした。 犯人の男性は逮捕後に、自らを省みるときが与えられて、家庭環境によって子ども時代に負った深い傷のことなども分かって来たそうです。やがて、本人がオスロ大学へ入学したいと願い出たそうなんです。ノルウェーの政府はすごいなと思うのですが、その願いを受けて2015年から、服役先で大学へ入れるようにし、彼は政治学を学ぶことができているそうです。寛容化政策は、希望やチャンスを奪わない、どんな人であっても望めば成長することができる、と信じる信念に基づいていると思いました。

 犯罪を無くすための抑止力として、日本では厳罰化が求められる場面が、今は多く見られ、そして死刑もいまだに執行されています。実際のところ、日本では犯罪率そのものは非常に低く、さらにどんどん低くなっているのですが、一方で日本で最も深刻な問題は、再犯率が高いということなんです。さっきも、お家へ戻れない、ということを言いましたが、刑期を終えて出てから行き場所がない、差別によって就職が難しい。住むところもなかなか見つけられない、と。すると結局また犯罪を繰り返して、刑務所に戻ってしまうという、再犯率の高さが日本では深刻なんです。
 厳罰化というのは、犯罪の抑止力にはならず、むしろ犯罪者の自立する機会を奪っているともいわれています。もしも、犯罪を犯すほどに、この人はこれまで苦しみを負ってきたんだと捉えるならば、その人のその悩みに目を向けることもできるかも知れない。日本でも、決して不可能ではないと信じていると森さんはおっしゃっていましたが、本当にそういうふうにかなえることが出来たらなと私も思いました。
 先ほど自己責任論に触れた中でも話しましたが、やはり私たちは人との出会いや繋がりの中でしか生きることができない存在です。助け合ったり、受け入れあったりすることで成長して、安心できる居場所があってこそ、歩みたい道を見出し、生きたいように、望んだように生きることができるものです。ところが、身近な関係性において、深く傷つき、その傷を癒すことが出来ないままでいたならば、その傷への痛みに対する復讐を果たすかのように、よりか弱い存在、より攻撃しやすい対象へと刃を向けてしまう。そのような暴力の連鎖が続く現実を抱えています。

 そうした中で、イエスが話された「種まきのたとえ」は、痛みを負った人々の心に寄り添っていると感じるのです。道ばたや石地、茨という生きにくい中で、「あなたはたくさんの苦労を重ねて歩んできた。芽を出したいと思ったし、自分で必死になんとかしようとしたけれど、どうにもならないということがあった。けれども、安全な場所では生きたいように生きられるし、そうしたら、もう誰にも暴力を振るう必要もなくなる。そして、そこでは100倍の実を結ぶように、十分な幸せを得られる。あなたの痛みをわたしは知っている。だから安心して生きたいように生きなさい。」そのように語られている、と感じます。
 私たちにとって安全な場所、帰る場所とはただ一つ、神様のもとであります。そして私たちは、同時にいつもそこから押し出されて、出かけていき、自らもまたそうした居場所を作り、居場所を求める人と、繋がりあうことができる。そのような導きと、恵みが与えられています。孤独を生みだし、暴力が連鎖する私たちの現実において、私たちは自らの安全を求めて、より小さな殻に閉じこもり、人を切り捨ててしまうという誘惑から離れて、繋がりあい、受け入れ合う道を求めて歩んでいきたいと願っております。お祈りいたします。
 愛する神さま いつも私たちを支えてくださりありがとうございます。私たちはあなたからたくさんの出会いをいただき、またさまざまな経験を通して一人一人が複雑さの中を歩んでいます。ときに孤独を感じたり、不安の中をさまようこともあります。けれどもあなたがそのすべてを知っていてくださり、また私たち一人一人に寄り添ってくださることを覚えて歩むことができるように導いてください。差別や排除、暴力の連鎖を断ち切り、信頼しあえる関係を願って歩むことができるように、私たちを常に励まして下さい。岡崎茨坪伝道所の歩みをどうぞ祝福してください。また集っておられるお一人お一人が、これからもあなたの御恵みのうちに歩まれますように。特に心身に痛みを負っている方、病の床にある方、身近な方のことで心配を抱えておられる方をどうかお支えください。この祈りを主イエス・キリストの御名を通してお捧げいたします。
                       アーメン  

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