わたしたちの告白の成立過程

「わたしたちの告白」は、日本キリスト教団岡崎教会の会員であった仲間が岡崎教会の中で、日本キリスト教団の戦争責任の告白を自らの告白にしようと努力し、1974年に岡崎教会の教会総会で採択されたものです。その後の西三河聖書研究会でもこの告白を継承し、1981年の茨坪伝道所の発足にあたり採択されたものです。わたしたちは、毎週日曜日の礼拝の中で、この告白を唱和しています。

わたしたちの告白

[前文]

教会は、神の国の福音を委ねられています。しかし、その歴史は、わたしたちの熱心さにもかかわらず、しばしばあやまちにおちいり、神のみ旨のそむき、み名をけがすものでした。明治以来のわたしたちの教会の歩みは、とくにその痛ましい実例であり、敗戦は祖国とともに受けなければならない、神の裁きでありました。

しかし、わたしたちの父なる神は、大きな罪にもかかわらず、わたしたちを滅びにではなく、悔い改めへと導き給います。まことに教会の歴史は、神の豊かな憐れみによる、悔い改めの歴史であります。

しかし、わたしたちはまさのこの点において不徹底でした。戦後みずからの信仰を深く問い直すことを怠り、教団成立の問題性や罪の悔い改めをあいまいにしたばかりでなく、新しい時代に立ち向かう教会の姿勢についてもなおざりにしたまま、長い年月を経過しました。わたしたちはこのことを、心から恥じています。

「戦争責任告白」(1968年)は、この反省から生まれました。これは教団内における対立と混乱のさきがけとなりましたが、これらは真実が生まれ出るための、産みの苦しみであると信じます。わたしたちは、この告白の目ざすところを真剣に取り上げ、真に神のみ旨に応える教会となることを、心から願うものです。

いまや、祖国は、戦争の惨禍と不戦の誓いを忘れてしきりに軍備を増強し、経済大国の意識に酔い、再び、教育と宗教を国家が統制しようとする、危険な道を歩みつつあります。この時にあたって、わたしたちは、これまでの罪責を大胆に悔い改めるとともに、世々の聖徒の信仰の遺産を受けつぎつつ、新たにみずからの信じるところを告白します。

[告白文]

主イエス・キリストは、生涯、全き愛をもって苦しむものと共に生き、十字架の死に至るまでみずからを低くして、人々に仕えられました。この方を、神は死人の中からよみがえらせ、すべてのものの主と定め給いました。わたしたちは、ここに、人間を罪と死の力から解放する、神の支配が始まっていることを信じます。

しかし、かつてわたしたちの国が、天皇を現人神(あらひとがみ)とすることによって、あらゆる良心の自由を封じ、共栄の美名のもとに隣国を侵略して、人間の尊厳を侵したとき、主イエス・キリストの証人たるべき教会は、この偽りに気付かず、あるいはその悪を正そうとせず、預言者的役割を忘れて、その罪に加担しました。このことを、わたしたちは今、みずからの罪責として悔い改め、心の深い痛みをもって、神と隣人との赦しを乞い求めます。

わたしたちの国が、過去の教訓を生かそうとせず、再び憂うべき方向に進みつつある今日、わたしたちは同じ過ちをくり返すことなく、主イエス・キリストに従い、地の塩としての使命を果たす決意を新たにします。

神よ、どうか、わたしたちを導き、助けてくださいますように。   アーメン

1974年4月21日、日本キリスト教団岡崎教会、教会総会にて採択。

1981年9月13日、日本キリスト教団岡崎茨坪伝道所の開設にあたって採択

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